手の中に入るほどの小さな紙の箱の蓋を開け、指をゆっくり入れていくと、ちり紙が 触れた。さらに奥に指を入れると、暖かくふわふわした羽毛に触れた。おそるおそる紙箱を壊していくが、インコはさらに奥に潜り込んでしまった。箱をすっかり開いて手の 上に乗せると、インコはぼくの指をギュッと握ってきた。暖かくて細い足だった。
これが、インコの馨との初めての出会いだった。もともと動物好きのぼくは、何かペ ットを飼いたかった。イヌやネコでもよかったのだが、マンション住まいの事情から、鳴き声と臭いに問題があった。そこで、ペットショップでいろいろと考えてみた。まず 、陸ガメはどうかと思った。陸ガメはおとなしくて、飼いやすいと思った。ところが、陸ガメのほとんどは熱帯産で、絶えず暖かくしておかなければならない。そのための設備は大がかりで、とてもベランダで置き去りにできるものではない。
ペットショップで、二千円程度の安いものはどれもが危ないものばかりだった。指を 噛み切る「カミツキガメ」、何でもかみつく「ワニガメ」。
そこで、考えた末、セキセイインコを飼うことにした。店員さんに選んでもらったの は、頭が白で、尻尾が黒、胴体が青だ。何か考え込んでいるようにおとなしいといわれた。名前を「馨」とした。
水とエサを入れるとき、鳥かごの中に手を入れると、馨は羽をバタバタさせて逃げ回 った。馨にしてみれば、巨大な手が窓から入るのだから、驚くのはむりもない。
人間の大きさに換算すると、六畳一間のオリに入れられたことになる。オリの向こう には、大仏ほどの巨人がいて、巨大な手が迫ってくるのだから大事だ。
馨を鳥かごから出してやると、窓に向かって飛ぶ。窓ガラスにぶつかってボタッと畳に 落ち、ガサゴソと歩く。フローリングの床の所に行くと、視力のないぼくは困る。足音 が消えてしまい、うっかり踏みつぶしてしまう恐れがあるからだ。馨が飛び上がるのを じっと待つ。二十分も三十分も飛び上がるのを待った。馨の方が根負けして飛び上がる。羽音を目指して、ようやく捕まえる。
こんなことを何度も繰り返し、馨は少しずつ逃げ回らなくなってきた。外の野鳥のさ えずりに合わせて、さえずった。
何日貸し手、鳥かごに手を入れて馨に触れようとすると、コツンコツンと嘴で合図してきた。そっと出して顔を近づけると額をコンコンとつっつく。キャベツをやると、むさぼりついばむ。満腹になると、馨は、ぼくの肩に飛び乗り探索をする。髪を引っ張り 、耳たぶにかみつく。嘴を耳の穴に入れてわめきたてる。バタバタと天井を一周飛び回って、肩の上に戻ってくる。指の上に乗せると、何やらクネクネと動く。そっと触ってみると、身だしなみを整えているらしい。嘴で全身の羽を整えている。そのうち、片足を上げ、翼を広げておめかしを始めた。触ると身体をくねらせてさける。まるで女子高生にそっくりだ。
「なによ! エッチ!」といっているようだ。
ぼくが昼寝をするときに、胸の上に馨を置いた。すると馨は、大股でまっすぐぼくの 顔の上に乗ってきた。鼻にかみつき、唇を引っ張り、目をつっつき、眉毛を引っ張る。ぼくの顔のあちこちを、とがった爪が動きまわった。それでもぼくはじっとしていた。 あらゆる暴君を終えると馨は、ぼくの鼻にとまって寝息をたてた。
二カ月ほどたったころ、すっかりなついてくれた。鳥かごの扉を開くと、バネではじ かれたようにして、手に飛び乗るようになった。このころから、なんとかして馨にしゃべらそうと思って話しかけた。「おはよう」昼でも夜でも「おはよう」と話しかけた。 だが、何日たっても馨はしゃべらなかった。
あきらめていたある日、「おはよう」と聞こえた。空耳かと思っていたが、確かに馨 は「おはよう」といった。ぼくは、そのことに気をとられて、鳥かごの扉を閉めるのを忘れていた。窓を開けた時、一直線で馨は外へ飛び出した。名前を呼ぶと、ベランダの ソバで羽音がした。それでも馨は戻ってこなかった。鳥かごをベランダに出して置いたが、翌日も戻ってはこなかった。
車の騒音の中にも、野鳥の鋭い鳴き声の中にも、馨の声がしていた。